
キッズウィークエンド
2025.05.27 Tue
主人公の夢に共感し、共に走る。“縁の下の力持ち”こそ私の生き方!

アフリカの高品質商品を扱うWebサイト「Proudly from Africa」の運営をはじめ、地域おこしや日本企業の進出支援など、日本とアフリカの架け橋として多彩な活動を手がけるゆかり先生に、海外に目を向けることになったきっかけや、海外で活動することの魅力について伺いました。
聞き手:キッズウィークエンド株式会社 アナウンサー 岩見 沙耶加
原ゆかり先生
愛媛県今治市出身。東京外国語大学を卒業後、外務省に入省。在職中にガーナ北部ボナイリ村を拠点にNGO MY DREAM. orgを設立。外務省退職後、NGOの活動と並行し、三井物産ヨハネスブルク支店での勤務、アフリカ企業での勤務を経験。その後独立し、株式会社SKYAHを設立。哲学とストーリーのあるアフリカの高品質商品を取り扱うProudly from Africaを運営。また、日本企業のアフリカ事業開発支援を行なう。
国際的で多様なキャリアの原点──
幼少期の「もし私なら?」という問いかけ
──まずは現在の活動について教えてください。
高品質なアフリカ製品の輸入・販売、日本企業のアフリカ事業開発のサポートなどを手がける株式会社SKYAHの代表と、ガーナNGO MY DREAM.orgの共同代表を務めています。またそのかたわら、企業の社外取締役や大学の講師を務めており、Webマガジンへのコラム執筆も行なっています。
いくつもの仕事を同時に手がける「パラレル・キャリア」ともいえる状況ですが、これらの仕事の根底にあるものは共通しています。それは「主人公の夢やビジョンに共感し、伴走しながら一緒に実現していきたい」という想い。以前からずっと、自分で旗を振って「これをやるぞ!」というリーダータイプではなく、どちらかといえば“縁の下の力持ち”の方が向いているなと感じてきました。
実際に、SKYAHでは日本やアフリカの起業家たちの夢の実現のために“助手席”の役割を務めてきましたし、MY DREAM.orgでも、ガーナの村のリーダーが掲げるビジョンに共感し、彼らの取り組みのお手伝いをしています。
──子ども時代はどんなお子さんでしたか?
好奇心は旺盛な子どもでしたね。日頃からアニメやドラマ、映画、ドキュメンタリーなどをよく見ていましたし、そこで得た情報を“自分のこと”として捉え、「もし私ならどうする?」と考える習慣がありました。
国際協力の分野に興味を持ったのも、中学時代に観たNHKのドキュメンタリー番組がきっかけでした。それは、フィリピンのスラム街で生きる小さな女の子の話。彼女は毎日、鉄くずやプラスチックといった“お金になるゴミ”を拾い集めて日銭を稼いでいました。隣で観ている8歳下の妹とほとんど変わらない年頃の少女がこんなことをしなければならない世の中なんて何か違う、そうじゃない世界をつくるためにはどうすればいいのか──テレビの前でそう考えたことが今の仕事の“原点”になっています。
両親は「これが見たい」「あれがやりたい」と心の赴くまま口にする私をいつも応援してくれました。国際協力に興味を持ち始めた中学生の時にも、父は突然そんなことを言い出した私を、地元から少し離れた場所で開かれた青年海外協力隊の説明会に連れていってくれたのです。もちろん子ども向けのイベントではないので、迎えてくれた担当者もびっくり(笑)。でも、そうやって子どもが自分の力で世界を広げていく機会を与え、静かに見守ってくれた両親に感謝しています。
子どもの主体性を伸ばすには──
“留学一直線の私”に父がかけた言葉
──国際協力に興味を持ってから、何か具体的に行動は起こされたのでしょうか?
まずは英語を身につけなければ、と地元の英会話教室に通い始めました。講師はカナダ人やカナダに在住歴のある方で、外国について何も知らなかった私に大きな影響を与えてくれました。当時の私はそれまで知らなかった世界に触れ、もうすぐにでも海外に留学したいという思いでいっぱいでした。
ただ、父は私のそんな思いを受けとめてくれた上で、留学に一つの条件をつけました。「日本語で自分のことや、自分のルーツである日本のことさえも語れない、その状態で留学しても何者にもなれないよ」「もう少し日本で基礎をしっかり固めて、語学力をきちんと身につけてからでも遅くないのでは?」と。たしかに当時の私は英語力も未熟でしたし、日本の教育を否定するような、少し偏った考え方をしていました。父の言葉は、悔しいけれど「おっしゃるとおり」(笑)。その後は父の言葉をバネに、英語の勉強にさらに力を入れました。
父は曽祖父が地元で始めた会社を三代目として切り盛りしていました。日々多くの従業員や取引先と向き合う中で、相手の話に注意深く耳を傾け、その思いをしっかり受けとめる大切さを感じていたのかもしれません。娘である私たち三姉妹は性格も考え方も大きく異なりましたが、父はそれをひと括りにしたり一般論で決めつけたりすることは一切なく、いつも一人ひとりと正面から向き合い、それぞれの考えや個性の違いを最大限に尊重してくれました。
子どもに「留学したい」と相談される親御さんも多いと思いますが、まずは<なぜそう思うに至ったのか><具体的にどうしたいのか><どんなステップでそれを実現させたいのか>を子どもに問いかけ、しっかり聞いてあげることが肝心だと思います。子どもの考えが明確ならば、「大人の私たちができることはある?」と、子ども自身が主体となり、さらに考えてもらう。「こうすれば?」「こんな方法があるよ」などと先回りせず、あくまで子どもを主人公にしつつ、大人がサポートできることを一緒に探していく……子どもの主体性を奪わないことが大切なのではないでしょうか。
“山登り”と“川下り”──
「自分の生き方に納得できた」言葉との出会い
──その後、さまざまな経緯から国内の大学に進学したそうですが、卒業後は外務省に入省し、在職中にはアフリカ・ガーナ共和国でNGOを立ち上げて地域の発展に尽力。現在では日本とアフリカの架け橋として活動しています。そんなゆかり先生にとって、海外で活動することにはどんな魅力があるのでしょうか。
やはり、日々新たな価値観に触れられることが一番の魅力ではないでしょうか。海外という“自分にとってのあたりまえがあたりまえではない世界”で働いていると、自分の価値観がどれだけ小さく凝り固まっていたのかということに気づかされます。想像力や発想力、自分のキャパシティを広げていきたいと思う人にとっては最高の環境なのではないかと思います。
同時に、海外にいるからこそ、日本のよさが実感できるということもあります。時間の正確さ、商品やサービスのきめ細かさ、心を尽くしたおもてなしの素晴らしさなどは、日本ならではの魅力。日本と海外、どちらがいいということではなく、“海外で働く”ということも選択肢の一つとして持っていると、視野がより広がるのではないでしょうか。
──最後に今後の夢と、子どもたちへのメッセージをお願いします。
これまで世間一般で語られてきたキャリア形成の方法は、なりたい自分に向かって一歩ずつ歩を進めていく「山登り型キャリア」が前提でした。これに対して「川下り型キャリア」は、なだらかに川を下りながら、その時々に出くわす急流や滝を乗りこなしたり、ときどき現れる分岐点を前に選択を重ねて進んでいく方法もある、という考え方。どちらが優れているというわけではありませんが、私はこれからも、山に旗を立てる人たちの“縁の下の力持ち”として活動しながら、目の前のことにコツコツ取り組む「川下り型キャリア」を歩んでいきたいと思っています。
この考え方を知らない頃は「キャリアといえば“山登り型”」という意識が強く、「どこかの頂上を目指さなければいけない」「何かの専門家でなければいけない」という強迫観念が常にありました。その後、「“縁の下の力持ち”になりたい」という自分の生き方に心から納得し、自信を持って前に進めるようになったのは、この「川下り型キャリア」という考え方に出会ったことが大きいですね。
子どもたちには、自分の心の声にしっかり耳を傾けてあげてほしいと思います。大きな目標ではなくても大丈夫。「私は本を読むのが好き」とか、「料理をするのが面白い」「ゲームをしている時間が楽しい」、そんな小さなことでいいのです。自分が日常の中で心をわくわくさせながら、意志を持って取り組んでいることを探し、その想いをヒントに将来の選択ができれば、誰のものでもない、自分自身が満足できる人生を歩んでいけるのではないでしょうか。
ゆかり先生の講座を見てみよう!
ゆかり先生がナビゲーターとなり、世界で活躍するゲストと参加者が一緒に語り、考える講座
『世界のトップランナーと本気で語ろう!あなたならどうする?』シリーズ
2025年3月9日開催回では、ゆかり先生ご自身のお話をもとに、たくさんの参加者たちと意見を交わし、学びを深めました。
キッズウィークエンド『子ども探究チャンネル』(YouTube)でアーカイブを配信中ですので、ぜひご覧ください♪
アフリカ・ガーナでの活動の様子も見られます!
アーカイブを見る▶ https://youtu.be/OfgeXtXL740?si=XtjbJ7WFwHV_xtIM